9月6日(日)
今宵、ジムのパーティが催される。期待と不安に胸躍らされ、ヒロキは、ジムへと向かっていった。ジムに到着すると、カウンターは、出席者でいっぱいだった。ちらほら見たことのある人がいる。だが、ほとんどが初対面だ。準備が、まだ、整っておらず、その間、しばし、その場で足止めされていた。皆、各々会話し合って盛り上がっていたが、一人だけ世代の違うヒロキには、話に入り込む余地はなかった。でも、今は、そんなこと大した問題ではない。もはやヒロキの頭は、彼女のことでいっぱいだ。 「さあ、どうぞ、中へお入りください。」男性インストラクターの一声で、普段は、ゴルフラウンジとして使用されている部屋に案内される。そこには、様々なご馳走が並び、おいしそうな香りを漂わせていた。昼間同様に明るく照らされたこの空間は、いつものゴルフラウンジの面影はない。まるで、別室に用意された社交場のような雰囲気さえ漂っていた。各々が好きな場所に着席すると、早速、宴が開催された。紙コップに、なみなみとビールが注がれた。 「皆様、いつもご利用ありがとうございます。それでは、乾杯。」 周りの会員同士で、ワイワイとおしゃべりが始まった。参加費用五百円の割には、なんとも食欲をそそる料理ばかりだ。夕食時ということもあり、ヒロキは黙々と、一心不乱にひたすら食べ、飲んだ。 食欲が満たされてきた頃、ゲームが始まろうとしていた。ヒロキは、ようやく当初の目的を思い出した。 「彼女は、今、どこに?」慌てて、会場中、至るところに目を光らせる。 「ロック・オン!標的確認。」酒が入っているせいか、半ば、野獣と化したヒロキの肉眼が彼女を捉えた。正反対に位置する隅の方に彼女はいた。しかし、そこにいたのは、こともあろうか他の男性客と、楽しそうに話している姿であった。 「誰だ、あの野郎共。馴れ馴れしく彼女に話しやがって!」B級恋愛ドラマなら、すぐにでも行って殴りにかかるところだが、そこは、残りわずかな理性がヒロキを食い止める。 「ああ、しかし、何てバカなんだ!料理なんかに気を取られて、彼女を他の男に獲られたら世話ないじゃないか。」 どうやら、彼女の気を引こうとしているのは、ヒロキ一人だけじゃないらしい。彼女は、ジムのマドンナで、誰もが、その魔法に取り付かれていた。男性会員にとっては、ここはまさに、四面楚歌。 やがて、ビンゴゲームが始まった。だが、ヒロキの意識だけは、全て彼女の方に注がれている。 「もう、絶対へまはしない。」 宴も酣になった頃、ついに、ヒロキにチャンスが訪れた。彼女が、野郎共の群れから一人離れた。部屋の奥の方に、宴会で出たゴミを運びに行ったときのことだった。 「千載一遇のチャンスだ!もう、今しかない。」 手にしたゲームカードをテーブルに置き、ごった返す人並を押しのけ、押しのけて、彼女に歩み寄る。 「今晩は。」 「あっ、小林君!来てくれてたの。今晩は。」 彼女が満面の笑みを浮かべた。この笑顔が拝めただけでも満足だ。しかし、今の内に、押しておかなければ、また、彼女は俺の前から消えてしまう。 「去年までは、地元に帰っていたんだけれど、今年は、なんとなく、東京にいたくて。最近は、本読んだり、絵、描きに行ったりしてるんです。今日は、他の会員さん達と知り合いになれる絶好の機会だと思って。」 なんて、心無いことを。でも、本当は、君に会いに来たんだ、なんて、とても、言えない。 「へぇ〜、小林君、絵、描けるんだ。スゴーイ!」 「そうは言っても、趣味で描いている程度だけれどもね。」 彼女が、尊敬の眼差しで見つめている。思わぬ展開に、なぜか謙遜してしまった。あれほど、攻める気満々だったのに、感情はかくも不合理でやっかいなものだ。 「私はね、工作は好きなの、粘土細工とかね。でも、絵画とか、全然苦手。だから、絵描ける小林さんが、すっごく羨ましいな。そうだ、ねえ!今度、私を描いてくれない?私、他人の目からどんな風に映っているのか、一度、見てみたかったの!」 これは、幻聴か。ヒロキは、もう一度、聞き返そうとした。同時に、ひょっとして、違う答えが返ってきたらどうしようと恐怖した。確かめる勇気も必要性も、なしと踏んだヒロキは、慌てて返事した。 「オッケー、いいよ。俺に任せて。あっ、そういえば、まだ名前も聞いてなかったっけ。」 「私?私、清水ユキエ。小林君、下の名前は、何だったかしら?」 「ヒロキ、小林ヒロキ。19歳。今、学生で上北沢で一人暮らししています。」 「へえー、まだ、19なんだ。若―い。いいなー。私、ヒロキくんより6つも年上だけれど、よろしくね。」 なんと、6つも年上。ということは、彼女はもう、25歳。それなりの貫禄は、垣間見ていたが、まさか、そんなに上だったなんて。正直、少し、ショックだった。でも、年の差なんて、問題ではない。彼女は彼女だ。ヒロキにとっては、年齢以上に彼女が幼いというか、無邪気で無垢な女性に映っていた。
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