一九九九年一月六日(木)
ユキエとの交際が始まってから、ついに年を越した。実家に帰ってからは、もっぱらアルバイトの毎日であった。全ては、今日のため。ユキエの誕生日を一緒に祝うためである。 「ユキエ、帰ってきたよ。先ずは、誕生日、おめでとう。」 「ありがとう、ヒロキ。今日は、どういう予定なの?」 「うん、それじゃあね、明大前の上りのホームの一番端に6時に待ち合わせでいいかな。今日は、全部、俺に任しておいて。うん、じゃあね。」 地元の魚屋で死ぬほど寒い思いをして稼いできた軍資金3万円。全ては、今日のためだ。ユキエの誕生日を豪勢に祝ってあげたい。しかも、今日は、成人式用にと買ってもらった新品のスーツで、全身、気合を入れてコーディネートしてきた。 午後6時5分前。京王線明大前のホームに到着し、ユキエの到着を待っていた。それから、間もなくユキエが電車から降りてやって来た。しかも、その格好は、これまで一度として見たことのないドレス姿。 「ユキエ、すごく綺麗。しかも、化粧したとこ、初めて見る気がするんだけれど。」 「うふ、ありがと。ヒロキも、スーツ極まってるじゃん。中々、イケているわよ。」 「マジすか!?サンキュウ。成人式用にと買ってもらったんだけれど、実は、今日のためなんだ。」 「駄目よ、親を騙しちゃ。」 再び、電車に乗り込み、目的地、新宿に向かった。今回のコンセプトは、豪華ディナーで極めるバースデーパーティでる。行く先は、新宿ニューシティホテル。西口のオフィス街を抜けたところにある超高層ビル。 「ユキエ、料理は和風、中華、フランス、イタリアン、どれがいい?」 「そうねえ、フランス料理食べてみたいな。」 「よしっ、オッケー。それじゃ、ここにしよう。」 エレベーターで一気に六十階まで上がる。もはや、地上は、遥か下である。エレベーターのドアーが開くと、超ゴージャスなレストランが待ち構えていた。 「ヒロキ、こんなところで、お金大丈夫なの?」一瞬、マズイかも、という思いが過ったが、ここまできたら引き返すわけには行かない。 「大丈夫だよ、ユキエ。心配しないで。この日のために、地元でアルバイトして来たんだから。」 エレベーターから出ると、間もなく、ウェイターが出迎えた。 「いらっしゃいませ、2名様でしょうか?」 「はい。」 店内に案内される。内装もシャンデリアやグランドピアノなどがあり、超ゴージャスだ。しかも、他の客は、老夫婦一組しかいない。ひょっとして、ものすごく場違いな所に来てしまったのでは。一介の不安が脳裏を過る。「こちらへ、どうぞ。」ウェイターが椅子を引いてくれ、腰かけるとメニューを渡された。 「ヒロキ、本格的だね。」ユキエが、そっと、耳打ちする。ユキエも動揺の色を隠せない様子だ。 一体、いくらぐらいするんだろう、お金が足りない時の言い訳は、なんて言ったら良いのだろう。様々な思考が駆け巡る。メニューをめくる手が、小刻みに震える。しかし、フルコースで壱万円だ。生き延びた。余裕で守備範囲である。ヒロキは、ほっと胸を撫で下ろす。 「ユキエ、フルコースでいいかな。」 「うん。ヒロキにお任せする。」 「よし、決まり。フルコース2人前にしよう。」隣で、会話を聞いていたウェイターが、尋ねた。 「魚のコースと、肉のコースとがありますが、どちらに致しましょうか?」 「それじゃ、肉の方で。良いよね、ユキエ。」ユキエが、静かに頷く。 「ワインは、いかがされますか?」いかがと言われても、ワインのことなんて何も知らない。しかし、こういう時のために、レストランには、ソムリエがいるはずだ。だから、ただ、任せればよいのだ。 「お肉に一番合う、しかも、手頃なお値段の頼みます。」 「それでしたら、こちらの赤は、どうでしょうか?まだ、若いのですが、その分、値段が安くなっております。」 「あっ、じゃ、それで、お願いします。」 「かしこまりました。では、肉のフルコース2人前。赤ワインでよろしいですね。」 「はい。」 「どうも、ありがとうございます。では、しばらく、お待ちください。」 ようやく、注文終了。 「フー、なんだか、注文するだけで、えらい、緊張するね。」 「ヒロキ、本当にお金、大丈夫なの?」 「壱万円のコースが2人前でしょ。俺が持ってきたのは3万円だから、余裕だよ。」 「本当。良かった。でもね、こういうのって、税金が懸かるから、もっと、高いはずよ。」 「でも、壱万も余裕があれば、大丈夫だよ。」 「そうね。」 それから、間もなく、見た事もないような料理が次々と運ばれてきた。見るだけで、胸がワクワクしてくるような手の込んだ料理ばかりだ。 「おいしいね、ヒロキ。」 「うん。すごい料理ばかりだ。」 いつの間にか、先程の老夫婦も退席しており、店内は、ユキエと二人きりになっていた。広々とした店内の円形のテーブルが十数個。両方の壁には、等間隔で幾人の店員が、待機している状態であった。ふとユキエの方に、目を向けると、口をアングリ開けていた。 「どうしたの?ユキエ?」 「ヒロキ、あれ、あれ見て。」 ユキエの指す方向に目を移すと、先ほどあったグランドピアノに女性のピアニストが腰かけ、演奏し始めたではないか。ここには二人きりだから、わざわざ、俺達だけのためにピアノの生演奏をしてくれているのだ。 「やっぱり、ちょっと、俺達には場違いのようだったね。」 「ちょっとねえ。」 二人で、コソコソ耳打ちし合っていると、気が付くと周辺の店員の人達が察知していたのか、まあ、良ろしいではありませんか、という表情を浮かべていた。ユキエもそれに気がつくとパッと離れ、何食わぬ顔で、食事を続ける。デザートのケーキを食べ終え、全ての料理が終了した。 「ご馳走様、ヒロキ。とっても、楽しかったよ。緊張しすぎて、味よく分らなかったけれど。」 「だったら、吉牛にしとくんだったなあ。」 「もう、冗談よ。」 税金込みで、年末年始働いたお金が全て、翼を広げ、飛んでいった。でも、それだけの価値は十分あった。ユキエと、また、素敵な思い出が出来たのだから。最後に店員に記念撮影してもらった。 新宿西口のカリヨン時計前に出て来ると、時刻は、もう午後十一時五十分をまわっていた。 「お姫様、そろそろ魔法が解けてしまう時間がやって参りましたよ。」 「うふふ、残念。それじゃ、王子様。また、元の世界に戻ってしまう前に、キスして。」 「はい、お姫様。」 夜空満天の星が、優しく二人を包み込んだ。
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